話題の本

北口昌弘さん

2024年8月16日 (金)

北口昌弘さんが遺したメッセージ~彼の命日にあたって~

2011726

昨日8月15日は、重度の障害をもちながら地域の学校で学び続けた当事者として「ともに学び、ともに育つ」教育の推進に人生をかけて取り組んだ、北口昌弘さんの命日でした。

彼が42歳の若さで彼方へ旅立ってから、もう7年になります。いま、あらためて、彼が伝え続けたメッセージをかみしめたく、遺された原稿のひとつを紹介したいと思います(遺稿集『共に学び 自己実現へ』には未収録)。

これは、2010年9月11日のシンポウジム『特別支援教育からインクルーシブ教育へ』にパネリストとして登壇したときの講演メモのようです。

(以下、北口さんの原稿)

2010年9月11日シンポジウム

1.北口昌弘の自己紹介と共に学ぶ教育を受けて

・わたしは1974年8月21日に高槻市で生まれた。

・生まれた後の高熱とけいれんにより、脳性まひという障がいをもち、手足と言葉が不自由になった。

・わたしの両親は、わたしが重い障がいがあっても一人の人間として育っていってほしいという思いが強いため、小学校から高校まで地域の学校へ通った。

保育所・学校の出来事と思い出

・小学校入学前の2年間は、保育所に通っていた。

・保育所では、お昼寝のとき部屋が暗くなるのが怖くてよく泣いていたから、あまり眠れなかった。

・わたしが床に座っているときは、よく後ろにこけることがあるので、こけても頭を支えることができるように、いつも友だちが近くにいた。

・小学校1年生のときは、わたしのクラスと隣のクラスの仲が悪くて、よくほうきとちりとりを持ってクラス全員でけんかをしたけど、わたしにはけががなかった。

・遠足で京都の天王山に登った。灯油缶の上に座って、男の先生が交代でおんぶしてくれた。登った後の見晴らしがとても良くて、良い思い出になった。

・授業では、教科書と黒板を見ながら先生の話を聞いていた。

・運動会では、よつばいで10メートル走った。

・マラソン大会では、右足で後ろにけって車椅子をこいで、みんなの距離の半分を走った。

・運動会の組立体操では、よつばいになって土台作りに参加した。

・階段ののぼりおりは、友だちや先生が手伝ってくれた。

・給食は、友だちといっしょに食べて、友だちが食べさせてくれた。

・家には、いつも10人位の友だちが遊びに来てくれていた。

・友だちといっしょにザリガニ取りや、昆虫採集にいった。

・家の前の芝生で、20人位の友だちでカレーパーティーをやった。

・夕方暗くなるまで友だちと校庭で、野球やサッカーで遊んだ。

・野球では、わたしがバッターボックスに立つときは、ピッチャーが1メートル前からボールをバットにあてるように投げてくれて、わたしが打つと友だちが代走で1塁まで走ってくれるというルールを友だちが作ってくれて楽しんだ。

・サッカーのときは、友だちが交代でわたしの車椅子を押して走ってくれた。

・高学年になると、いじめられることがあったけど、友だちが支えてくれて心強かった。

・中学生になり友だちといっしょに高校に行きたいという思いがつよくなり、足の親指でパソコンを打って、高校受験をした。

・大冠高校では、生徒や先生方に障害者問題を知ってもらうために、3年間ホームルーム委員を務めて、年一回生徒会とホームルーム委員会の合同で障害者問題を考える取り組みを生徒自身の企画で行った。

・高校二年生の修学旅行の部屋割りを決める時に仲の良い友達と同じ部屋を希望したけれど、一人の同級生から私と同じ部屋になりたくないと言われ、私だけがのけ者にされた感じになりました。そのため、同じクラスの男子生徒と私と担任の先生で話し合いをしたところ、特定の生徒から私に一方的にいかにも私が悪いと責められ、その中で、ある男子生徒から「ごちゃごちゃ言うのだったら、高校を辞めて、養護学校へ行け。」と言われ、私はただ泣き喚くばかりでした。その時、担任の先生は何も言ってくれませんでした。私の母親が迎えに来ても、母親に対しても暴言を言われ、親子とも落ち込みながら自宅に帰りました。自宅へ帰ってしばらくすると、中学時代の友人が遊びに来てくれて、心の支えになりました。私は、友人と共に高校へ行きたいから、大冠高校に通っているのに、とても腹が立ちました。

・結局希望した部屋に決まって、クラスの女子生徒も出来る限りのことを手伝ってくれました。

・足の親指でワープロを打って大学受験をして、高校を卒業して一年後に京都の花園大学に入学した。

・おとなになり、街中でよく同級生の友だちに会うと、地域の学校に通って良かったとつくづく感じる。

・もしわたしが、支援学校に通っていたら楽しい思い出がなく、高槻という地域で孤立していたと思う。

・私は、共に学ぶ教育を経験してきた中で、仲間に私のことを本音で伝えると、理解してくれ、支えてくれた。仲間がいて支えてくれたから、今の自分があると思う。

今していること

・大阪を中心とする関西のいろいろなところで、車椅子を使っている人や、目が見えない人などいろいろな障害を持っている人たちが、快適に街を歩けることが出来るように、障害を持っている人の立場から、駅や歩道や建物が使いやすくなるように、大阪のいろいろな地域で発言する活動をボランティアでしている。

・共に学ぶインクルーシブ教育を進めるため、自分の経験を生かして、学習会の開催やハンドブックの作成に関わっている。

みなさんにお願いしたいこと

・駅前の歩道にある黄色いブロックは、点字ブロックと言い、目の見えない人が点字ブロックをたどって歩いている。また車椅子を使っている人も歩道を使っている。しかし、点字ブロックの上に自転車を置いているため、目の見えない人が自転車にぶつかってけがをしたり、車椅子が通りにくくなることが多い。だから、点字ブロックの上や歩道には自転車を止めないでほしい。

・駅や建物にある車椅子マークがあるトイレは、車椅子の人でも使いやすいようにしている。車椅子の人は一般トイレではスペースが狭く、使うことができないので、車椅子トイレを使っている。最近は、車椅子の人だけではなく、赤ちゃんを連れた人や内部障害があるため、人工肛門を洗うために使う人など多くの方が車椅子トイレを必要としている。このため、多目的トイレともいわれる ようになっている。誰でも使えるようになっているけれど、多目的トイレでないとトイレができない方も使うので、多目的トイレのなかでトイレ以外の目的で長い時間使わないでほしい。

・駅や建物などにあるエレベーターは、車椅子の人やお年寄りなど階段を使うことが難しい人がよく使うので、エレベーターであそぶと、エレベーターが壊れることがあるので、エレベーターを大切に使ってほしい。

・町中で車椅子の人や、目の見えない人や、お年寄りが困っているのを見かけたら、「何かお手伝いしましょうか?」とすぐに声をかけてほしい。

・多くの人が手助けすることにより、私たち障害を持っていても、年をとっても楽しく生きやすくなる。

・障害者は、障害者である前に一人の人間であるということを念頭に置いてほしい。

障害があっても当たり前に生きたい思いがある。

障害を理由に分けられた空間で生活させることは、差別にあたる。

障害がある人とない人が共に学ぶことは、仲間同士の繋がりが強くなり、人を大切にする思いが生まれる。

障害がある人を含めて身近な仲間のことを考え、理解を深めることにより、他者への関心や気遣いが生まれ、思いやりのある社会になれる可能性を秘めている。

2.特別支援教育に対する私が思うこと

・自分で出来ることを増やすために、早い段階から専門家による発達支援が行われるようになっている。

 →自分で出来ることが多いと生きやすいという考えが根底にあると思う。だから、専門家は特別支援学校を勧めて、個別支援が大切だと考えている。

・私は、専門家が着目していることは、障害を持つ子どもの能力だけであると考えている。

 →人との関係性をあまり考えない傾向があると思う。そのため、出来ることが増えても、人間関係で悩むことがある。それでも出来ないことがあるときに、周りの人にうまく支援を頼むことが苦手になる傾向があると思う。

・特別支援学校に進学すると、選択肢が限られる傾向にあると私は感じている。

・障害を持っていても、自分がしたいことを自ら探して選びながら成長していくことが大切であると私は考えている。

・自分がしたいことを探すときに、周りの仲間や先生などが障害を持つ仲間にわかりやすく説明することで、選びやすくなると思う。

・もし、自分がしたいことが障害を理由に自分の力だけで実現することが困難な場合は、周りの仲間や先生などの協力により、実現できるようにすることが、いちばん大切であると考えている。そのことが生きる力に繋がる。

・一人の人間として生きる上で、たとえ障害があっても、出来ないことを周りの人の手助けを通じて、関係性の中において育ち合うことが大切であり、このことはインクルーシブ教育すなわち共に学ぶ教育でしか培うことができない。

・障害があるために、特別支援学校という分けられた場所で教育を受けることは、差別であると考えている。

・高校において、学力による入学検査をすることは、知的障害を持つ生徒にとって大きな壁であり、差別になっている。また、他の障害を持つ生徒にとっても、学力による入学検査は、肉体的に大きな負担になっている。

・少子化のため、高校の数が減ってきている一方で、特別支援学校の高等部が不足していて、増やす動きが全国各地で起こっているという現状になっている。

・高校を減らさず、障害がある生徒とない生徒が共に学ぶ高校を増やす必要があると思う。

 →高校は、就職に結びつくことがあり、共に学ぶことを経験してきた障害がない仲間にとって、障害を持つ仲間と共に働くことがごく当たり前のことになる可能性が大きいと思う。例えば、障害を持つ仲間と今まで共に学び、その仲間のことをよく理解している障害を持たない仲間がペアーで同じ職場で働くことにより、人間関係や仕事が円滑になり、働きやすくなると思う。

北口 昌弘
大阪バリアフリーネットワーク
バリアフリーアドバイザー
高等学校公民教員免許・中級障害者スポーツ指導者
ピアカウンセラー・社会福祉学修士号

2022年8月15日 (月)

北口昌弘さんをしのんで

2015-1

今日8月15日は、障害当事者として「ともに学び、ともに育つ教育」の推進に人生をかけて取り組んでいた北口昌弘さんの命日です。

2017年に他界されてから5年がたちますが、彼の存在がいかに大きかったかを、いまも日々、感じているところです。

3年前に発行した彼の遺稿集『共に学び 自己実現へ』はまだ残部があり、1800円(送料込み)で販売しています。ご希望の方は私・合田までご連絡ください。私の「プロフィール」のところからメールが送れます。

命日にあたって、北口さんが遺した文章を紹介したいと思います。2016年に書かれた原稿で、花園大学の社会福祉学会で発表したもののようです(遺稿集には未収録)。

**********

『障害のある人が子どもの頃から地域社会で共に生きるには』

研究発表の目的

 2016年7月に神奈川県の障害者施設で起きた殺人事件は、私たち障害者に命の危険を感じさせるできごとであったと同時に、地域で障害のある人が当たり前に暮らす世の中になっていないという現実に直面しているということを考えさせられることになってしまった。このことを通じて、障害のある人が子どもの頃から地域社会で共に生きることを考えていきたい。

1.百人百様の生き方を認め合う

 障害があると、できないことがあり、できるようになるには時間がかかる。人間の発達において、見よう見まねで物事を覚えていくなかで、障害のある人が子どもの頃から障害のない人と過ごすなかで、見よう見まねで物事を覚える機会が生まれる。できるようになるのに時間がかかるけれど、保護者や学校の教員などの関わる人は、すぐに物事を習得することができないと決めつけて、障害のない人との関わりをやめさせることは、当たり前に生きることを奪うことになり、差別だと考える。障害のある人の生きる力をつけることは、周りの人々が見守りながら、じっくり待つことが大切である。障害のある人が子どもの頃から、地域社会の中心で生きることは、全ての人が生きやすい世の中になると考える。

2.地域でいきいきと生きるために

 私たちは、障害者である前に1人の人間として、多くの人々と関わりながら生きていく。障害があると、自分の力で周りに働きかけることが難しいので、教育や社会福祉に関わる人が、働きかけることを応援することが大切である。障害のない人と多く関わる機会を作ることにおいて、地域にある公民館や公共施設において障害のある人が障害のない人と共に管理運営できることが大切である。

 日本は、災害が多い国なので、災害対策の中心に障害のある人の支援を考えることが重要であり、障害のある人が災害対策に関わることにより、災害に見舞われても、安心して暮らせる社会を作ることができる。地域で暮らす形態においても、障害のある人とない人が共にグループで暮らせるような居住形態を作ることが大切だと考えている。子どもから高齢者まで障害のあるなしに関わらず、さまざまな人と関わりあえるようにすることが、安心して地域に住むことにおいて不可欠である。障害者が役に立たない人間にさせられる要因は、障害のない人との関わりをさせなかった支援者に問題があると考えている。障害者が障害のない人と関わるにあたり、住み慣れた地域の中心でいきいきと生きることができるように、さまざまな支援をすることが、インクルーシブ社会を形成する社会福祉関係者に不可欠である。支援することで障害のある人がいきいきと活躍できる社会を作ることは、全ての人にとって生きやすい社会になる。障害があると、社会経験が少なくなってしまう傾向にあるため、障害のある人が多くの経験ができるように支援することが、社会福祉関係者に求められている。

 社会福祉関係者は、障害のある人の生きにくさを、多くの人に啓蒙して、障害のある人が生きやすい地域社会を作ることが大切である。

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