今日8月15日は、高槻市の北口昌弘さんの命日です。
8年前に42歳の若さで天国に旅立った彼は、重度の障害をもちながら小・中学校、高校、大学、大学院と地域の学校で学び続け、「ともに学ぶ」道を切り拓いたパイオニアでした。
学校を出てからは、自分の経験を生かして後輩の障害のある子どもたちのことを応援し、「ともに学び、ともに育つ」教育の推進に人生をかけて取り組んでいました。
命日にあたって、北口さんが生前に発表した文章を紹介し、彼が訴えてきたことを振り返りたいと思います。
下記は、2009年に、橋下大阪府知事の「教育改革」の方針に危機感を抱いた有志が「『共に学び、共に生きる教育』日本一の大阪に!ネットワーク」として公開質問状を提出したのですが、そのときに大阪府庁で行った記者会見で発表した資料です。
写真は、その日、多くの仲間たちとともに、府庁内を公開質問状の提出に向かうところ。白のジャケットでかっこよくキメています。
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「野球もサッカーも高校受験も…障害をもたない仲間達と学び、遊んだ」
北口 昌弘(障害当事者)
私は、1974年8月21日に高槻で生まれました。生まれた時は仮死状態で、その夜から高熱とけいれんが続き、その結果脳性まひによる手足と言語に障害を持ちました。
私の両親は、私を一人の人間として生きて欲しいという思いがあり、高槻市立保育所の障害児保育を経て、小学校から高校まで地域の普通学校の一般教室で障害をもたない仲間達と学んだり遊んだりしました。
私が小学生の頃は、夕方の暗くなるまで校庭で友達と野球やサッカーなどで遊んでいました。私が野球で遊ぶ時は、大きいバギーに乗っている私がバットを持ってバッターボックスに立つと友達がマウンドから私の1メートル前まで来てくれてバットに当てるように投げてくれて、私が打つと友達が代走で1塁まで走ってくれるという特別ルールで楽しんでいた。
またサッカーでは友達が交代で大きいバギーを押してくれて私にボールがまわってくると、私が自分でボールを蹴って楽しんでいた。その他自宅の前の芝生で友達とカレーパーティーを開いて楽しんでいた。
そして中学生の頃は、高校受験に向けて、友達といっしょに勉強していた。私は10年間近く学校でいじめられて辛い思いをしたことがあったけれど、友達が支えてくれて乗り越えることができた。今でも街へ出掛けると、時々学校時代の友達に会う度に、地域の学校に通って良かったと実感する。もし私が養護学校に通っていたら、いろいろ楽しい経験もしないで、地域で孤立していたと思う。
私は、子供の頃から障害を持つ人達の代弁者になりたいと考えていて、足の親指でパソコンを打って高校受験をしたり、大学や大学院の受験でも足の親指でワープロを打って時間延長を受けて行った。障害を持つ人はなんらかの支援を受けることでみんなとあたりまえの生活ができる。もし教育委員会が高校受験のときにパソコン受験を認めてくれなかったら、私が高校に受験する機会を得られなかったかもしれない。
最近学力テストが話題になり学力を重んじる傾向がある。その結果一部の学校では、障害を持つ生徒を学力テストから排除している。このことは障害者に対する差別だと私たちは考えるので、排除しないでほしい。
ただ学力を重んじる傾向が強すぎると、勉強ができる人が有利になり勉強が苦手な人や障害を持つ人達が置き去りになる傾向が否めない。また競争を第一にするので、助け合いや思いやりの心が失われる傾向がある。したがって私達は学校における学力テストに反対します。
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