6月12日(土)。子ども情報研究センターの総会記念企画「障害があってもなくても、ともに学びたい~障害を理由に子どもを分けない教育を~」で、大阪市立大の堀智晴さんとともに、ゲストスピーカー&ファシリテーターをつとめさせていただきました。
ご来場いただいた方々、どうもありがとうございました。会場のみなさんがどんどん手を挙げて発言してくださったので、私はほとんど仕事してませんでした(笑)。
時間が押せ押せで走りぎみになりましたが、私が言いたかったのは、障害のある人とない人とが、いっしょに過ごすなかでぶつかりあうことの大切さです。
いまの特別支援教育は、考え方そのものはよいと思います。しかし、それを実行する手だてとして挙げられている内容を見ると、疑問を抱かざるを得ません。
児童生徒一人ひとりの「教育的ニーズ」を的確に把握する。そのニーズに基づき、就学前から卒業後までの生涯にわたる「個別の教育支援計画」を立て、経営管理の手法である「PDCA(Plan-Do-Chech-Action)サイクル」で点検していく、といいます。
しかし、一人ひとりの教育ニーズなんて、最初から簡単にわかるものでしょうか。私など、愛しあって結婚し、3年以上いっしょに暮らしている妻のことさえ、彼女が何を求めているのか、いまだによくわからないのですが。
生涯にわたる「個別の教育支援計画」といいますが、小学校に上がる前から、おとなになった時のことまで見通して、人生のレールがはたしてひけるものでしょうか。それは人間という存在をあまりにナメた態度といえないでしょうか。
特別支援教育が先生たちに要求しているのは、問題が何も起こらないように、あらかじめ先回りして児童・生徒をうまくコントロールしていくという、スーパーマンみたいな役割のようです。
でも、むしろ問題が起きなければいけない、と私は思います。障害のない人たち中心の理屈でできあがっているこの世の中で、障害のある人たちと本気でともに生きようとすれば、何かしらトラブルやあつれきが起こらないはずはありません。
いろいろと問題を起こしながらも、いっしょに生活するなかで向きあい、ぶつかりあっていくこと。それなしには、私たちはわかりあえないし、支援の手を差し伸べることもできません。だから、やはり、特別支援学校に子どもを振り分けていてはいけないのです。
写真を撮っていただいた長谷川さん、ありがとうございました~!