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2010年2月15日 (月)

新 万智子さん、10年目の高校受験

「インクルーシブ教育を考えるシンポジウム」のレポートを中断して、今日は別の話題。

現在、日本の高校進学率は97%以上です。ほとんどの中学生が卒業後の進路として、当然のように高校進学を考えると思います。ところが、障害のある生徒には、入試制度の壁があるために、その道がまだまだ開かれていません。

そんななか、今年、大阪では、枚方市の新 万智子(あらた・まちこ)さんが10年目の受験に挑みます。

10年も受験を続けているというと、もしかしたら、何かエキセントリックな感じを受ける方もいらっしゃるかもしれません。でも、彼女の行動は、学校でも社会でも、誰もがそこから排除されるべきではない。障害がある人もない人も、いっしょの場で生き、暮らすのがあたりまえ。──という、素朴でまっとうな思いにもとづくものです。

10年目の今年こそ、万智子さんの進学を実現しようと、市民が応援の輪を広げています。今後、応援行動の情報をお知らせしていきますが、まずは彼女について知っていただきたく、私が書いた記事を下記に掲載します(「障害」児・者の生活と進路を考える会『考える会通信』2010年2月号)。

また、「知的障害者を普通高校へ 北河内連絡会」の松森俊尚さんのホームページには、母親の美鈴さんが書かれた手記が載っていますので、あわせてご覧ください。→こちらです。

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(あらた) 万智子(まちこ)さん、10年目の高校受験

 もうすぐ高校入試シーズン。今年で10年目の受験に挑むのが、大阪府枚方市の新 万智子さんだ。生まれながらの知的障害をもつ彼女は、中学卒業時の2001年、地元の府立長尾高校を受験して不合格。それから毎年、何度落とされてもあきらめず、同校を受け続けてきた。「今年こそ、合格したい!」と今、希望を燃やしている。万智子さんとともに入試の壁と闘ってきた母親の美鈴(みすず)さんに、この9年間を通しての思いをうかがった。

■友だちが行くように、あたりまえに高校に行きたい

 「ハンディがあっても、社会に出て行ける子に育てたかったんです」と、美鈴さんは言う。万智子さんは生まれてまもなく、知的と身体の障害があることがわかった。診断した医師は「この子は歩くことはできません。そういうつもりで育ててください」と言い放った。「この子の将来を勝手に決められたくない」と美鈴さんは怒り、「“障害児”として育てるんじゃなく、普通の子どもと同じように育てよう」と強く思ったそうだ。
 そんな美鈴さんの考えから、万智子さんは地域の保育所、小学校、中学校に通い、地域の子どもたちの中で育ってきた。学校では支援学級に在籍せず、ずっと普通学級で過ごした。たとえ「ともに学ぶ」環境が保障されていても、障害があるゆえに支援学級に分けられるのは、やはり差別と考えたからだ。これに対して、小学1年の時の担任教師は「支援学級在籍が条件で担任した」と言い、排泄がうまくできなかった万智子さんへの対応を、「どうして私がおしっこの世話をしなければいけないのか」と露骨にイヤがった。
 しかし、子どもたちの反応はちがった。いつのまにか、万智子さんがお漏らしをすると、誰に命じられなくても処理をしてくれるようになり、タイミングを見てトイレに連れて行ってくれるようになった。放課後には、みんなそろって万智子さんの家に遊びに来て、それはにぎやかな光景だったという。中学校では、教室移動の時に万智子さんがじっとしていると、クラスメイトが「はよ行くでー」と自然に誘導してくれていた。
 こうして友だちとかかわりながら、あたりまえに学校生活を送ってきた万智子さん。中学卒業後は友だちが行くように、高校に行くのは当然のことだった。初めて長尾高校を受けた時は、クラスのみんなが「入学させてほしい」と、校長あてに作文を書いてくれた。
 「うれしかったですね。仲間やなぁって…。万智子がいて、いろいろと大変なこともあったけど、クラスの一員として認めてくれていることが、すごくわかりました」

■万智子さんの涙の陰には、何千人もの生徒の涙が…

 9年間も続いている万智子さんの浪人生活は、大阪府において、知的障害のある生徒を高校に受け入れる取り組みが遅々として進んでいない状況の象徴といえる。
 初めて受験した2001年(ちょうど、大阪府教育委員会の「知的障害のある生徒の高校受け入れに係る調査研究」が始まった年)は、障害のある生徒が受験するにあたっての情報が全くなく、大変な苦労をした。2年目の2002年は、長尾高校の募集人員と受験生数が同数の「定員内」だったが、点数がとれていないという理由で不合格になった。当時、「定員内不合格は出さない」という了解が定着しつつあったのにもかかわらず。
 「この時、他の高校では合格した例があるんです。その学校の校長の姿勢次第で通る・通らないが決まるのは、差別だと思う。基準をきっちり設けてほしいのです」と、美鈴さんは訴える。しかし、教育委員会から納得のいく反応は返ってきていない。
 現在もなお、障害のある生徒も一般受験ができること、さまざまな受検上の配慮が受けられることなどの情報は、保護者にも教師にもあまり伝わっていない。運動団体とつながって粘り強く交渉しなければ、試験を受けるという入り口にさえ、なかなかたどりつけないというのが現状だ。2006年度から府立高校に「知的障がい生徒自立支援コース」がつくられたが、設置校も募集人員もごくわずかなままで、選抜基準もあいまい。かえって障害のある生徒たちを選別し、排除するシステムになってしまっている。
 過去の受験で、万智子さんは答案用紙を前に泣き続けていたという。その涙の陰には、あたりまえに高校に行きたいという希望を打ち砕かれた何千人もの生徒の涙がある。

■“お荷物”じゃなくて、周囲の人生に影響を与えている

 万智子さんは現在24歳。かつての同級生は就職したり、結婚したり、子どもを産んだり、それぞれの人生を歩んでいる。直接かかわることは少なくなったが、今も街で出会うと、「おー、マチコ、元気か」「まっちゃん、どうしてんの」と声をかけられる。
 今年の年賀状には「10回目の受験、がんばります」と書いて、同級生全員に送った。「まだ、がんばってるんや!」と返事が来た。「万智子ががんばっている姿を見て、みんなもがんばってほしい」と美鈴さんは願う。同級生の中には、万智子さんと出会ったのをきっかけに、もともと考えていた進路を変更して、福祉の仕事に就いた人もいる。
 「万智子は“お荷物”じゃなくて、周りの子たちの人生に影響を与えている。それが万智子の良さじゃないでしょうか。地域で生きてきた証だと思うんです」
 こんなすてきな関係が小中学校だけで終わるなんて、もったいない話だ。高校にも、その先の社会にも広がっていくといい。市民団体の「高校問題を考える大阪連絡会」では、今年こそ万智子さんの進学を実現しようと、支援活動に取り組んでいる。これを読んで共感した方は、ぜひ連絡会に来て、万智子さんと美鈴さんの思いを聞いてほしい。そして、身の回りにいる人たちに万智子さんのことを伝えて、応援の輪を広げていただきたい。

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