話題の本

« バクバクの会 “いのちを考える”講演会 | トップページ | 定時制高校廃校に反対する集会 »

2010年1月10日 (日)

「分教室」は“ともに学び、ともに育つ”なのか

1月2日・4日に書いた朝日新聞 『公立高に「分教室」倍増』 記事に疑問-1-2に関連して、大阪府のたまがわ高等支援学校の分教室、「共生推進教室」について、私が過去に書いた文章を載せておきます。

豊中市の「障害」児・者の生活と進路を考える会の『考える会通信』に掲載していただいたものです(2009年12月号)。

----------------------------------------------------

「共生推進教室」は、はたして“ともに学び、ともに育つ教育”なのか?

 「共生推進教室」って、ご存じだろうか?

 知的障害のある生徒が一般高校で学ぶための取り組みで、大阪府教育委員会は、「知的障がい生徒自立支援コース」と同じく、これを“高等学校におけるともに学び、ともに育つ教育”としてアピールしている。

 ただ、「自立支援コース」とちがうのは、「共生推進教室」は、府立たまがわ高等支援学校の分校が一般高校のなかに置かれている形。生徒たちは、一般高校の生徒とともに学んでいるけれども、そこの正式な生徒ではなく、籍はあくまで支援学校(養護学校)にあるのだという。

 うん? どういうこと? 企業でいえば、出向社員みたいなものか? ややこしくてよくわからない。第39回大阪府人権教育研究中河内大会の分科会(10月24日)で実践報告が行われたので、聴きに行った。

 そこで理解できたのは、これは“ともに学び、ともに育つ教育”というよりは、「障害者のため」の職業訓練プロジェクトだということだ。

■府立高校のなかでの支援学級的な役割

 報告者の先生によれば、共生推進教室は、「府立高校のなかでの支援学級的な役割」。籍はそこに置くが、基本的にはホームルーム教室(小中学校での「原学級」)で、障害のない生徒たちとともに学ぶ。「長く集中が続かず、クラス授業が難しかった生徒が、級友に励まされ、助けられて楽しく授業を受けることができるようになった」という事例も紹介され、生徒どうしのいい関わりをつくろうと努力している姿勢が伝わってきた。

 ただ、「就労を通じた、地域での社会的自立」をめざすたまがわ高等支援学校の生徒なので、週1回、たまがわで職業に関する専門教科を学び、たまがわが主催する職場実習にも参加する。こうした別扱いがいいのかどうかは議論が分かれるところだが、「ともに学ぶ」環境と、将来に向けた就職準備とのエエトコどりともいえるかもしれない。

 報告の中心は、部活動の話題だった。部活動への参加を大いに奨励していて、共生推進教室の生徒の半数がクラブ(軟式野球、陸上競技)に所属し、障害のない生徒といっしょに大会にも出場しているという。この点は、クラブ入部を拒否される話をよく聞く「自立支援コース」とはエライちがいで、なかなか、がんばってるなぁという印象だ。

 でも、話を聴いていて、僕はひとつ、違和感を抱かざるを得なかった。

■なぜ、障害のある側だけがトレーニング?

 それは、報告者の先生が何度も言われた「人間関係トレーニング」ということばだ。就労して社会的自立を果たすには、知的障害のある生徒は、人間関係が難しいという点がネックになる。そこで、人間関係づくりのトレーニングに力を入れているのだという。

 そして、障害のない生徒とともに授業を受けるのも、部活動をするのも、遊ぶのも、人間関係トレーニングを積むことに主眼があるのだと。つまり、共生推進教室における“ともに学び、ともに育つ”とは、職業訓練のための手段なわけだ。

 ここで思い出すのが、知的障害のある人のスポーツ大会で見た、当事者の女性のこと。その女性はイケメンのコーチのことが好きでたまらなくて、その気持ちは周囲にバレバレだった。コーチは彼女の思いを十分にわかったうえで、それをうまく利用して意欲を引き出していた。コーチが一生懸命なのはわかったが、僕は何だか悲しかった。

 障害があると、友だちとの関係も恋ごころも、すべてトレーニングの手段にされてしまう。自立するためには甘いことを言っていてはいけないのかもしれないが、人生の何もかもがトレーニングに費やされる人生は、やはり幸福とは思えない。

 そもそも、なぜ、障害のある側だけが、つねにトレーニングをし続けなければいけないのだろうか。“ともに学び、ともに育つ”とは、双方が汗を流すことのはずだ。トレーニングが本当に必要なのは、実は「健常者」の側なのではないだろうか。

■高校生活をあたりまえに楽しんでほしい

 話は変わるが、先日、“重度”の知的障害のある男子生徒が一般受験で入学した府立高校を見学した。その高校は家庭環境に重たい課題を抱えた生徒が多いようで、生徒たちはほどよくヤンチャで、ほどよくダラダラしていた。その場で彼は、ごく自然にクラスのなかにとけこんでいた。ただ、少ししんどい課題を抱えたひとりの生徒として。

 そんな光景を見ると、僕は素直に「いいなぁ」と思うのだ。障害があっても、トレーニングの目的ではなく、高校生活をあたりまえに楽しむ可能性がもっと広がってほしい。そのためには、今、通っている人には申し訳ないけれども、やはり、「共生推進」とか「自立支援」とかいう、いかがわしいワクをいつかは壊したい。

« バクバクの会 “いのちを考える”講演会 | トップページ | 定時制高校廃校に反対する集会 »

障害のある生徒の高校進学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/503803/47258498

この記事へのトラックバック一覧です: 「分教室」は“ともに学び、ともに育つ”なのか:

« バクバクの会 “いのちを考える”講演会 | トップページ | 定時制高校廃校に反対する集会 »

フォト

もうひとつのブログもご覧ください!

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30