はじめに

2008年1月 4日 (金)

なぜ反対される?障害者との結婚

 “障害者”と“健常者”の結婚は、あたりまえに認められにくい。それが世の現実だ。

 僕の妻は、身体障害2級、精神障害3級をもつ、いわゆる重複障害者である。4年間の交際の後、2年前に結婚式を挙げた。

 最初に「結婚しようと思う」と切り出したとき、僕の両親はしぶい顔をした。僕と彼女が不幸になる可能性をいくつも並べたて、何とかあきらめさせようとした。

 そこを押しきる形で結婚したわけだが、人間性よりもかたくなに障害のことばかり見ようとする両親に、彼女の父親は必死に頭を下げてくださった。

 そのとき疑問に思ったのが、なぜ、障害者の側は無条件に頭を下げなければならず、健常者の側は疑いもなくエラそうにしていられるのかということだ。

 僕は彼女が“かわいそう”だから同情して結婚するのではないし、むしろ僕の方が彼女に負担をかけることだっていくつもあるはずだ。

 彼女の父親の方が「おまえのようなヤツに娘はやれない」と突っぱねたって不思議じゃないのに、障害者というだけで「もらっていただいて、ありがたい」と低姿勢にならなければいけないというのは、納得がいかなかった。

 また、知人に話したときは、“障害を超えた愛”という美談に盛り上がってしまって、私がとてつもなく優しい人間と思われるのにも困った。

 だって、たまたまなのだから。いっしょにいて居心地がいいと思えた女性が、たまたま障害をもっていただけ。もちろん、好きになったその人格には、障害も少なからず影響しているのだろうが…。

 親としては心配なのだよ、とも言われた。しかし、結婚でいちばん不幸なのは、ウマが合わないどうしで結ばれることではないだろうか。人生観が一致するかどうかという絶対条件の前では、障害があるかないかは小さい問題だと思える。

 でも、今の世の中、障害者はなかなか結婚に縁がなく、結婚話が持ち上がっても、健常者の側の親が反対するというのが通例だ。そこで僕が言いたいのは、いつまでもそんなことやってても、おもしろくないでしょう?ということ。

 “障害者”と“健常者がつきあうのは、けっして特別なことではないけれど、そのなかで、いろんなユニークな体験や新鮮な発見が生まれたりする。それは、この社会をもっとおもしろく転がしていく原動力になるはずだ。

 障害のある人とない人が、あたりまえにつきあえる世の中へ─。両者の間には、まだまだ深い川が流れているのかもしれない。目の前の川をこえて、ともに歩いていくためのヒントをこのブログでつづっていきたい。

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